あーりーです。
生きるヒントがいっぱい詰まった中国の古典『菜根譚』。
そのゆる~い現代語訳を書いています。
菜根譚には「前集」と「後集」があります。
今回は「後集」の016から020です。
後集016 あの頃の自分はどうかしていた
冷静になった今、熱にうかされて忙殺されていた自分をふりかえると、走り回っていたことが無益だったとよくわかります。
忙しい状態から暇になると、ゆっくり過ごすことの良さを感じます。
後集017 身も心も自由な生き方
富は浮雲のように儚いと思っています。
とはいえ、俗世間を離れて岩穴で暮らすほど頑固ではありません。
泉や石のような自然を病的に愛することはありません。
とはいえ、酒に酔い、詩を味わうイキな心は持っています。
人と競い合うことに興味はありません。
だからといって、他の人たちが競い合いに酔っているのを否定はしません。
静かにしているのが好きです。
だからといって、冷静な自分をアピールしているわけではありません。
これこそ、「物体」にも「空」にもとらわれない、身も心も自由な生き方です。
後集018 世の中の広さは自分次第
年月を長いと思うか、短いと思うかは、その人次第です。
世の中を広いと思うか、狭いと思うかは、その人次第です。
だから…
気持ちに余裕のある人は、一日という時間も、千年より長く感じることができます。
心を広くもっている人は、狭い部屋でも天地のように広く感じることができます。
後集019 余計なことは考えず、ありのまま過ごす
余計な気遣いや計算は、忘れます。
花を植えて、竹を飢えて、ありのまま過ごすのもいいですね。
あらゆることを忘れます。
忘れるべきことがなくなったら…
忘れるべきことがなくなったことも忘れます。
香をたいて、お茶をたてて過ごします。
お酒を持って来てくれる使者がいても、まったく気にしません。
後集020 楽園
ありがたいと満足できる人にとって、目の前にあるのは楽園です。
それができない人にとって、目の前にあるのは迷宮です。
ものごとのありのままの良さを引き出せる人にとって、あらゆる出来事はチャンスです。
それができな人にとって、あらゆる出来事はピンチです。