中国の古典『菜根譚』のゆる~い現代語訳を書いています。
今回は『菜根譚』の「後集」001から005です。
後集001 山林の楽しみを語る人
山林の楽しみをやたらと語る人は、山林の楽しみを本当に知っているとはいえません。
名声や利権の話をやたらと嫌がる人は、名声や利権にこだわる気持ちを本当に捨てたとはいえません。
後集002 一見風流に思えることでも
魚釣りは一見、風流です。
でもじつは、魚を生かすも殺すも自由という物騒さがあります。
囲碁は一見、風流です。
でもじつは、争いの心がぶつかりあう物騒さがあります。
つまり…
何かをする風流より、何もしない風流のほうが良いです。
多くの能力を持っているけど、その能力に振り回されて自分を見失う人がいます。
それならいっそ、特別な能力はなくても、ありのままの自分でいるほうが良いです。
後集003 飾らない天地のありのまま
鳥がさえずり、花が輝き、山や谷に緑がしげる。
これらはすべて、まぼろしの美しさです。
水が枯れ、木の葉が落ちてこそ、飾らない天地のありのままを見ることができます。
後集004 過ごしやすい世界を作るのは自分
時間は、本当は長いものです。
でも忙しい人は、自分で勝手に「時間がない」と思い込んでしまいます。
世界は、本当は広いものです。
でも視野の狭い人は、自分で勝手に「世界は狭い」と思い込んでしまいます。
風、花、雪、月は、心にゆとりを与えてくれます。
でも、あれこれ気に病む人は、自分で勝手にゆとりのない世界を作ってしまいます。
後集005 平凡な日々におもむきや美しさがある
ものごとの趣(おもむき)を感じるには、たくさんのものを見れば良いわけではありません。
小さな池や、ありふれた庭からも、趣を感じることができます。
良い景色を見るには、遠くに出掛ければ良いわけではありません。
ちょっとした窓や、粗末な家にも、風や月の美しさが遠くからやってきます。