あーりーです。
映画『本能寺ホテル』を見てきました。
おもしろかった~。
織田信長(堤真一さん)がカッコ良かったです。
彼の生き方(命の使い方)が、すごくカッコ良かった。
ネタバレ注意!
ここから先、ネタバレがあります。
映画を楽しみにされている方は、ここから先は読まないようにお願いいたします。
それでは…
いきますね。
どんな映画?
主人公の倉本繭子(綾瀬はるかさん)は、自分のやりたいことがわからずにいる女性です。
誰かに「どんなことがやりたいの?」と聞かれても「私は何もできないし…」と答えます。
ここには質問と答えのすれ違いがあります。
「やりたい・やりたくない」の話を聞かれているのに、「できる・できない」で答えてしまっているんです。
そんな綾瀬はるかさんが、織田信長との触れ合いを通じて、本当に「やりたいこと」に向き合っていく物語です。
※役名の「倉本繭子」ではなく「綾瀬はるかさん」と書いた方がしっくりくるので、以後そうします。
信長中心の感想
映画にはいろいろな人物が登場して、いろいろな物語を織りなすわけですが、ぼくは歴史が好きなので、信長中心の感想を書きます。
この映画の信長に惚れましたよ。
いきなり本能寺の変
映画はいきなり「本能寺の変」からはじまります。
燃える本能寺。戦う兵士たち。
そのめまぐるしい映像の中に、妙な違和感が…。
違和感の正体
違和感の正体は、その場にあるはずのない物が写っているから。
女性物のサンダルや、胃腸薬のビンらしきものや、縁結びイベントのチラシなど。
どれも戦国時代にはそぐわない、現代の匂いを感じさせるものです。
これからはじまる物語
サンダルや胃腸薬やチラシが、本能寺で燃えている。
このシーンを見てわかるのは…
現代の人間が戦国時代にタイムスリップしたであろうこと、
それでも歴史は変わらず本能寺の変が起きてしまったこと、
そして、いまから始まる映画はそこに至るまでの経緯を描いた物語だということです。
期待が高まります。
現代と戦国時代のリンク
冒頭。
綾瀬はるかさんが京都の街を歩くシーンも、これからはじまる物語への期待を高めてくれました。
綾瀬はるかさんが現代の京都を歩くと、そのあと画面が切り替わって、400年前のまったくおなじ場所を織田信長の軍団がゆきます。
過去と現在が交互に映し出されて、何かを予感させます。
テンションが上がります。
本能寺ホテル
綾瀬はるかさんは、京都の「本能寺ホテル」に宿泊します。
このホテルのロビーには織田信長に由来する不思議なオルゴールがあって、これとコンペイトウ(これも信長に由来するもの)がトリガーとなって、ホテルのエレベーターがタイムスリップの扉になるんです。
綾瀬はるかさんはこのエレベーターによって、戦国時代の本能寺にタイムスリップしてしまいます。
タイムスリップ
タイムスリップした先は…
天正10年6月1日。
「本能寺の変」の前日です。
誰もできないことをやって、すごいですね
織田信長は天下統一を目前にしています。
その信長に、綾瀬はるかさんが「誰もできないことをやって、すごいですね」的なことを言うシーンがあります。
できないと誰が決めた?
そのときの信長の答えが良かった。
「できないと誰が決めた。誰もやろうとしなかっただけだ」
信長は、歴史上はじめて本気で天下統一をめざした戦国武将です。それまでは誰も天下統一なんてやろうとしませんでした。
信長の言うとおり「誰もやろうとしなかっただけ」なんです。
しびれます。
※セリフは映画をみたときの記憶で書いているので、多少文言がちがうかも知れません。以降のセリフもすべてそんな感じで見ていただけるとありがたいです。
夢に大きいも小さいもない
綾瀬はるかさんは「私には信長さんみたいな大きい夢はないし…」と漏らします。
すると信長は…
「夢に大きいも小さいもない。やりたいか、やりたくないか。やるか、やらないかだ」
かっこ良すぎますよ、信長。
みんなが笑顔で暮らせる未来
信長は一日も早く乱世を終わらせて、みんなが笑顔で暮らせる世界をつくりたいと思っています。
そういう世界が実現できるなら、べつに自分が天下人にならなくてもいいと思っています。
誰もやらないから自分がやるだけで「べつに誰がやったっていいんだ」と考えているんです。
信長にとって大事なのは、みんなが笑顔で暮らせる平和な未来なんです。
「本能寺の変」を信長に教えるべきか
綾瀬はるかさんと信長は、少しずつ心が通じ合っていきます。
そこで綾瀬はるかさんは悩むことになります。
「本能寺の変」のことを、信長に教えるべきか否か。
綾瀬はるかさんにとって、信長はもう赤の他人ではありません。
できれば教えてあげたい。
でも、歴史を変えることは許されない。
葛藤のすえ、綾瀬はるかさんは教えることにします。
ここからの織田信長が、すごくカッコいい…。
未来からきたと見抜く
「本能寺の変」を信長に教えるにあたって、綾瀬はるかさんはまず、自分が未来から来た人間であることを信長に説明しようとします。
でも…
どう言えば信じてもらえるかまったくわからず困り果てます。
そのとき信長が、
「おまえは未来から来たのか?」
と言い当てます。
綾瀬はるかさん、びっくり。
映画をみているぼくもびっくり。
信長という人間のすごさ
実際の織田信長は「地球が丸いことを理解した最初の日本人」といわれるほど、明晰な頭脳を持っていました。
その明晰な頭脳が、綾瀬はるかさんが未来から来たことを見抜いていたんです。
信長いわく…
わしはつい最近までこの世界が丸いことを知らなかった。
異国の人々の肌の色や、目の色を知らなかった。
異国でつくられるさまざまなものを知らなかった。
だから、
未来から人が来るということも、わしが知らないだけであり得るのかも知れない。
これです。この感覚。信長という人間のすごさ。
ぼくらが実際の歴史で感じた信長のすごさ、大きさ、異次元の頭脳。それを映画の中でも感じられたのは、とても嬉しいです。
そうなんですよね、信長のすごさって、そこなんです。
謀反を起こすのは誰だ?
綾瀬はるかさんは信長に、もうすぐ謀反が起こることを教えます。
信長の側近の森蘭丸(濱田岳さん)は、謀反などあり得ない!と怒ります。
でも、
信長は恐ろしく合理的な頭脳で、綾瀬はるかさんの言っていることがウソではないと理解します。
信長にとって問題なのは、謀反が本当に起こるのかどうかではなく、謀反を起こすのは誰か?です。
明智謀反の件、承知した
綾瀬はるかさんは、明智光秀が謀反を起こすことを信長に伝え、今すぐ本能寺から逃げるように言います。
すると信長は「明智謀反の件、承知した」と、立ち上がります。
このあたりの理解のはやさ。見ていて気持ちが良い。さすが信長。
ものごとの本質を理解する
ふつうの人が感情や常識に左右されるところを、信長は事実だけを見て瞬時に本質を理解する。
信長にはそういうすごみがあります。
その切れ味を、堤真一さんが演じる信長からもビシバシ感じました。
本能寺から逃げない
ぼくはてっきり、信長が何か対策を打つのかと思ったんです。
でも、違いました。
信長は謀反のことを知っても、本能寺から逃げません。
逃げずに戦って返り討ちにするつもりかというと、そうでもありません。
そもそも史実をみても、光秀と戦って勝てるほどの兵力を、この時点(天正10年6月1日)の信長は持っていません。(おもな家臣団はみんな遠征に出払っているから)
だから、信長が助かろうとすれば、逃げるしかないんです。
でも信長は逃げない。
なぜか?
信長はただ、死ぬつもりなんです。
せっかく事前に「本能寺の変」のことを教えてもらったのに…
歴史のとおり、本能寺で死ぬつもりなんです。
その謎は、あとで解けます。
わしは武士の名誉などの為には死なん
死を覚悟する信長を見て、側近の森蘭丸は心打たれます。
「逃げずに自分の運命を受け入れて、武士の名誉のために死ぬお覚悟は立派です」みたいなことを言います。
でも、信長は…
「わしは武士の名誉などというものの為には死なん」
と、どこかすがすがしい顔。
では、何のために死ぬのか。
笑顔があふれる未来のために
信長は、これまでの綾瀬はるかさんとの関わり合いの中で、未来の街に笑顔があふれていることを知っていました。
綾瀬はるかさんが未来から偶然持ってきたある写真には、平和な時代のしあわせそうな笑顔が写っていました。
信長はその写真を見て、綾瀬はるかさんに尋ねます。
「この絵は未来の人々のようすを描いたものだろう?」
「はい、写真といいます」
「いい写真だな」
信長が目指している未来が、そこにはあったんです。
なぜ逃げなかったのか
綾瀬はるかさんは信長に「本能寺の変」が起こることを告げたあと、現代に戻ります。
そして、歴史が変わっていないことを知り愕然とします。
「本能寺の変」は、やはり起きたんです。
せっかく「本能寺の変」のことを教えたのになぜ信長が逃げなかったのか、綾瀬はるかさんはふしぎに思います。
その答えはきっと…
歴史を変えたくなかった、未来を変えたくなかった
戦国時代は信長のおかげで終わりを迎えました。
信長は天下統一への地ならしをやってのけました。
そして「本能寺の変」で死ぬ。
それが歴史の事実です。
信長が本能寺から逃げると、歴史が変わります。
歴史が変われば、未来が変わります。
信長は、綾瀬はるかさんとの出会いで知った未来の姿を、変えたくなかった。
きっとそうです。
だから、逃げなかった。
だから歴史のとおり、死を選んだ。
信長がつくりたかった笑顔のあふれる世界を、失わないために。
いい映画を観ました。
おまけの感想 その1
綾瀬はるかさんの予言(?)どおり「本能寺の変」が起こったとき。
森蘭丸が、そのことを織田信長に告げるシーンがあります。
その言い方が、とても静かで良いんです。
静かな口調で、「明智殿、謀反にございます」と報告します。
森蘭丸も「本能寺の変」が起こることはあらかじめ知っていましたから、この静かな口調の中に、すでに死を覚悟しているんです。
謀反なんて大事件です。
ふつう「本能寺」モノでは、このシーンはもっと騒がしいです。
明智が謀反を起こしたことが、たいへんな衝撃と混乱の中で信長に伝えられます。
でも、この映画ではちがいました。
まるで「月がきれいですね」とでも言うくらいの穏やかな口調で、
「明智殿、謀反にございます」
というセリフ。良かった。
そう告げられた信長の目は、涙ぐんでいるように見えました。
その涙の意味は何だったのか。
本能寺が燃え上がる壮絶なシーンの中の、ひとときの静寂がとても沁みました。
おまけの感想 その2
歴史では、「本能寺の変」のあと、秀吉が遠征先からものすごいスピードで京都方面に戻ってきて、明智光秀を討ちます。
(この映画ではそこまで描かれてはいませんが)
秀吉はふつうでは考えられない段取りの良さで、あっという間に戻って来るんです。
これを「中国大返し」といいます。
※「中国」地方に遠征していた秀吉が戻ってきたから。
「中国大返し」は歴史のちょっとした謎です。
なぜ秀吉はあんなにスムーズに戻って来られたのか。
あまりにも段取りよく戻ってきたので、秀吉は「本能寺の変」が起こることを知っていたんじゃないか(つまり、首謀者なのでは?)という説まであるほどです。
映画では、このあたりの歴史の謎の解明もしてくれます。
歴史好きには嬉しいところです。
長々と書きました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
いい映画だったなぁ~。
観て良かったです。