「機動戦士ガンダム」の舞台となったのは、宇宙世紀0079年です。(小説では0080年まで突入します。)
この年、ニュータイプという言葉が人々に知られるようになりました。これは新しい概念すぎて人々を混乱させます。
ハヤト・コバヤシの混乱
小説を読んでいると、ニュータイプの解釈について当時の人々が混乱している雰囲気が感じ取れます。
今回はヤハト・コバヤシの混乱のようすを見てみます。
ハヤトの混乱のしかたは、この時代の代表的な混乱のしかたです。ニュータイプは人類の進化なのか、それとも戦争の道具(モビルスーツの操縦がうまい超能力者)なのか、どっち?っていう混乱です。
ニュータイプは人類の進化か
ハヤトは、「ぼくはニュータイプって存在自体、どういう事なのか良く判りませんし……」(第1巻225ページ)と素直に語ります。
その上で、つぎのように考えています。
「ニュータイプが、レビル将軍のいうように人類全体の脱皮であるなら、超能力者とは違うだろう。人類の総体の中で認識力の拡大が行われて、人類が進化してゆくのならば、それは素晴らしいことだ。」(第1巻225ページ)
しかし…
それとも戦争の道具か
ニュータイプが戦争に利用されていることで、ハヤトの中にこんな疑問がうまれます。
「しかし、おかしいじゃないか、とハヤトは思う。ジオンに、ニュータイプの部隊の編成プランがあるならば、レビル将軍のいうような人類の総体的脱皮ではなく、あくまでも、超能力者による殺戮者集団ではないのか? ニュータイプとはしょせんは異常な変種なのではないのか?」(第1巻226ページ)
こうしたハヤトのようすから、この時代の人々が、最近広まってきたニュータイプという概念を消化しきれていないのがよくわかります。
ハヤトの嫉妬と偏見
ハヤトの場合、とくに複雑なのが、そこに嫉妬が入っていることです。ニュータイプを戦争の道具と考えるのは、ハヤトの嫉妬なんです。
ハヤトの同僚にアムロ・レイがいます。アムロはガンダムのパイロットとして活躍しています。でもハヤトはアムロほどの活躍ができていません。この差にハヤトは悩みます。
そこで…
アムロはニュータイプだから活躍できている。でもそのニュータイプっていうのは結局戦争の道具じゃないか!と考えることで、ハヤトはプライドを保っているんです。
人は自分が見たいものを見る
これはハヤトが悪いんじゃありません。みんなそうですよね。ものごとを解釈するときには、自分にとって快適で都合がよくて、理解しやすいように理解する。ハヤトの場合はニュータイプを戦争の道具として蔑むことが、それだったんです。
人は自分が見たいものしか見ようとしない、と言ったのはローマのカエサルでした。ハヤトもまさにそうです。ハヤトだけじゃなくガンダムの登場人物みんなが、ニュータイプという新しい概念について、自分の理解しやすいようにとらえている。そこがちゃんと描かれているのが、ガンダムの小説のおもしろさですね。