小説「機動戦士ガンダム」の見どころをまとめています。
第2巻の最後の章は、パート16「エルメス」です。
今回もネタバレがあります。
ご注意を。
小説を楽しみにしている方は、どうかこれ以上は読まないようにお願いいたします。
とても心に残る章でした。
スポンサーリンククスコ・アルの死
ジオンのニュータイプです。
ララァ亡きあとのエルメスに乗っています。
この章では、クスコ・アルが戦死します。
アニメにはいないタイプの女性
クスコ・アルは、ファースト(アニメ版の「機動戦士ガンダム」)には、いなかったタイプの女性です。
感性ゆたかで、アムロのことを「坊や」と呼んだり「可愛い」と思ったりして、大人びていて、それがときどき鼻持ちならなくて、クセがあって、それでいて真っ直ぐで。
どちらかというと「Zガンダム」以降の作品に出てきそうな女性パイロットです。
スポンサーリンクその死はララァ以上に印象的
クスコ・アルの死は、ララァ以上の衝撃をもって描かれています。少なくともぼくはそう感じました。
そもそもこの小説では、ララァ以上にクスコ・アルのほうが存在感があります。
ララァには透明感がありました。クスコ・アルには透明感はありません。そのぶん、手で触れられそうな存在感があるんです。
だからこそ、その死も印象的で、切なかった。
小説「機動戦士ガンダム」でもっとも印象的なシーンでした。
ちなみに…
アニメではマチルダさんの死もショッキングでしたが、小説ではマチルダさんは(今のところ)ほんの少ししか登場していません。戦死もしていません。
死の一瞬が5ページにわたって描かれる
クスコ・アルは、アムロのガンダムが放ったビームライフルで亡くなります。
一瞬のできごとです。
その一瞬が、5ページ以上にわたって描かれています。
クスコ・アルが散っていく瞬間…
アムロは彼女の幼い頃のしあわせな光景を見ます。やわらかく幼い歌声と、あたたかい家族のようす。クスコ・アルのお母さんが見えます。お父さんが見えます。……クスコ・アルが父に手ほどきされながら奏でる「G線上のアリア」が聞こえてきます。……クスコ・アルの白い指が見えます。日記を書いています。文字が見えます。「わたしは愛に生きるのです。」 ……クスコ・アルのお母さんの腹部に銃剣が突き立てられます。お父さんは撲殺され、血の海に倒れています。連邦軍の兵士が笑っています。タバコのヤニで汚れた歯ぐきが見えます。……
アムロは、クスコ・アルの乗るエルメスを撃った瞬間、上のような光景を見ました。見たというより感じたと言ったほうが良いかも知れません。
この一連のシーンの衝撃と、心に迫る切なさはすごかった。
ニュータイプの感じ方
アムロは「敵」であるクスコ・アルのエルメスを撃ちました。でもすぐに罪を犯したと感じます。そのときには、もうすでにクスコ・アルの体はビームライフルで焼かれていました。
アムロは、クスコ・アルの大切にしていた家族の温かさを知り、それを奪われたつらさを知りました。
人を誤解なく理解できるのがニュータイプだという話があります。
だとしたら、このシーンの感じ方は、まさにニュータイプのものの感じ方を文字に起こした場面なのかも知れません。文字に起こすのと実際に感じるのとでは差異はありますが、あえて文字にするなら、こういう形になるんですね。
『機動戦士ガンダム』はこれだからすごいし、ガンダムが生み出したニュータイプという概念は、これだからすごい。って、そう思いました。
けなげなフラウ・ボウ
それからフラウです。
第1巻のパート4でフラウ・ボウが車の整備士を目指していることを書きました。この章では、その後のフラウが登場します。
ルナツーで、カツ、レツ、キッカの面倒を見ながら一生懸命仕事をするフラウは、見ていて応援したくなります。
さらにけなげなのは、アムロへの想いです。
「どんなことがあってもいい!手足がなくなっていてもいい。他に女の人ができていてもいい。生き残って!」
と、フラウはアムロを想いつづけています。