戦国武将のエピソードを紹介した本です。
これまで真実だと思われていたエピソードのウソを暴いたり、あまり知られていなかった意外な真相を集めたりしています。
70以上の逸話
どんな話が載っているかというと…。
たとえば、
「武田信玄は本当に城をつくらなかったのか」とか
「毛利元就のあの有名な逸話はなかった」とか
「人望のなかった柴田勝家」とか
「桶狭間の戦いは奇襲だったのか」とか
「斎藤道三は二人いた」とか
「山本勘助は実在したのだろうか」など。
70以上の逸話やコラムが載っています。
明智光秀の信じられない性格
中でもぼくが一番興味をもったのが「明智光秀の信じられない性格」の話です。
当時、ルイス・フロイスという宣教師が日本に来ていました。
彼は戦国時代のようすを『日本史』という本に書き残しています。
『日本史』には、明智光秀のことも書かれていたそうです。
ルイス・フロイスが見た明智光秀
著者の河合敦さんは、中央公論社の『日本史』(フロイス著・松田毅一訳)から、光秀に関するつぎの言葉を引用しています。
「(光秀は)その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり」
「自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に付けていた」
「人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた」
「(光秀は)術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略に精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後、二ヵ国の国主に取り立て」
これがルイス・フロイスが見た明智光秀です。
信長を手玉に取る
上で引用した文章のうち、とくに意外だったのは「あまり謀略に精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい」です。
光秀は、信長を手玉に取っていた。
少なくとも、宣教師フロイスには、そう見えていたんですね。
抜け目ない光秀
さらに、『日本史』には、こうも書かれているそうです。
引用します。
「(光秀は)己を偽装するに抜け目がなく」
「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その信愛の情を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり」
「彼(信長)の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け」
光秀はずいぶん信長に合わせていた、というより、合わせているように見せかけていたんですね。
でも、それがフロイスにバレバレだったというのも不思議です。信長をだませたくらいなら、フロイスもだませそうなものですが。
想像するのが楽しい
やっぱり当事者の信長はコロリとだませても、傍から客観的に見ているフロイスはだませなかったんでしょうか。
あるいは…。
フロイスは光秀のことがあまり好きじゃなかったのかな。だから、こんなふうに悪口とも受け取れるようなことを、書き残しているのでしょうか。
信長はキリスト教に寛大だったけど、どちらかというと保守派の光秀はキリスト教よりも仏教に思い入れがあった。それがフロイスの気に入らなかった。だからフロイスは光秀についてボロクソに書いた、とか。
ぜんぶ想像ですけど。そんな想像もできてしまいます。
この想像があっているか、間違っているか…。そんなことよりも、こういう想像をすること自体が楽しいです。
人に話したくなる歴史の逸話
本書は、最新の研究やいろいろな史料を土台にして、つい人に話したくなる歴史の逸話を紹介してくれます。
ぼくたちはそれを読みながら、「もしかしてこうだったのかな」、「それともこうかな」と誰にも気兼ねすることなく自由に自分だけの想像を楽しむことができるんです。