織田信長がけっこう好きです。好きといっても別に率先して友だちになりたいわけじゃなく、ましてや上司にしたいわけでもありません。ただ歴史上の人物として興味があります。
織田信長について感じたことを、感じたままに書いてみます。
立体的に見ることで救われる
織田信長を盲目的に崇拝しているわけではありません。しっくりくる部分と、そうではない部分があります。混在しています。 信長の存在は一面的ではなく立体的なんです。(他のいろんな存在がそうであるように)
もしもぼくたちが何かを一面的に見て苦しむことがあるとしたら、それを立体的に見ることで、少しは救われることもあるのかも知れない、と信長をみて感じることがあります。
自分らしく
信長の人生にはいろんなヒントがあります。織田信長にはできたけど、ぼくにはできない、 と感じることもたくさんあります。同時に思うのは、ぼくらにできて、織田信長にできないこともきっとたくさんある、ということです。
なにが言いたいかというと、たとえ信長からヒントをもらったとしても、ぼくらは信長になる必要はない、 ということです。 信長は信長らしくやってました。ぼくらも、ぼくららしく。
それぞれの持ち味
もしも信長が秀吉のマネをしたら、うさんくさいです。秀吉が家康のマネをしたら、うさんくさいです。家康が信長のマネをしたら、うさんくさいです。それぞれ、にじみ出る持ち味があります。
自分の味に素直になればいいんですね。
歌って踊ってテンションを上げる
信長は一世一代の大勝負の前に、大好きな歌をうたって踊ってテンションを上げました。それで気持ちを盛り上げて、覚悟を決めて、勝負にのぞんだんですね。
自分の気持ちを一番しっくりくる方法で盛り上げる工夫。 そういうものがあるといいですよね。