織田信長は今の愛知県に生まれました。
愛知から、岐阜、滋賀と兵をすすめ、 京都を支配しました。
ほかの戦国武将にできなくて、 信長にそれができた理由はなんだったのでしょう。
京都から近かった
ひとつの見方として、 こんなことが言われます。
「愛知と京都がわりと近かったから」 だから、可能だったというわけです。
京都から遠かった
でもじつは、 信長と同じ時代の人々は、 こんなふうに言っています。
「織田信長が天下を狙っているらしいが、 あんな遠い場所からでは、無理だろう」
近いどころか、 遠いとみられていたんですね。
ものの感じ方で人生に追い風が吹く
今のぼくらは、 信長が京都を支配したことを知っているので、 「近いから有利だった」と考えます。
でも、 当時の人々は まさか信長が京都に入るとは思っていなかったから、「遠いので無理だ」と考えました。
では、 信長自身はどう感じていたのか。
きっと「近い」と感じていたのでしょうね。その近さは、信長にとって強い味方でした。
同じ距離でも、遠いと感じれば、障害になる。 近いと感じれば、追い風になる。
信長は、距離を追い風にしました。