横山光輝のマンガ『三国志』と三国志演義の違い

歴史のネタ

三国志って、おもしろいですよね。

ぼくはそんなに詳しいほうじゃないんですけど、読むのは好きです。

最近も、横山光輝さんのマンガを毎日読んで、心の休息をとってます。

あらゆる元ネタとしての『三国志演義』

三国志には、歴史書である正史『三国志』と、

エンタメ作品である『三国志演義』があります。

 

 

正史『三国志』は、中国の晋の時代に書かれました。

エンタメ作品である『三国志演義』は、明王朝の時代に書かれました。

横山光輝さんのマンガ『三国志』

そして、20世紀。

エンタメ作品の『三国志演義』を元ネタとして、吉川英治さんが小説『三国志』を書きました。

さらに…

その小説をもとにして横山光輝さんがマンガ『三国志』を書きました。

比べてみると面白い

『三国志演義』→小説『三国志』→マンガ『三国志』

と、物語の伝言ゲームが行われたわけです。

伝言ゲームって、最初と最後を比べてみると面白いですよね。

 

 

そこで~

元ネタである『三国志演義』と、横山光輝さんのマンガ『三国志』を比較してみたいと思います。

 

 

どちらが優れているとか、どちらが面白いとか言う話ではなく、シンプルに、三国志が好きな人間の好奇心として、比べて楽しめたらイイな~と思っています。

横山三国志は黄河のほとりから始まる

まずは、2つの作品の始まり方の比較から。

横山光輝さんのマンガ『三国志』は、劉備が黄河のほとりで洛陽船を待っているところから始まります。

いいシーンですよね。

元ネタの『三国志演義』には、そういうシーンはありません。

『三国志演義』は有名な一文から始まる

では、伝言ゲームの最初、つまり元ネタとなった『三国志演義』の始まり方はどうかと言うと…

かなり仰々しいです。

有名なつぎの一文から始まります。

 

そもそも天下の大勢は、分かれること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かれるもの。

 

仰々しいですが、なんとなく歴史のロマンを感じます。

この文章のあと、漢王朝の歴史や異変、黄巾の乱の起こりなどが書かれています。

 

 

このへんの内容は、横山光輝さんのマンガ『三国志』では、黄巾賊の男が劉備に話して聞かせるという形で挿入されています。

劉備と張飛の出会い(横山三国志)

横山光輝さんのマンガ『三国志』では、劉備が黄巾賊に襲われているところを、張飛が助けます。

これが2人の出会いです。

2人はいったん別れますが、それからしばらくして義勇兵募集の高札の前で再会します。

劉備と張飛の出会い(三国志演義)

元ネタの『三国志演義』では、義勇兵募集の高札の前で会うシーンが、2人の最初の出会いです。

横山三国志の劉備は用心深く対応する

横山光輝さんのマンガ『三国志』の劉備は、用心深いです。

義勇兵募集の高札の前で、張飛から世の中の乱れをどう思うか問われて、

「べつに…」「なにも感じませぬ」

と答えます。

 

 

「べつに…」って(笑)

なんという塩対応でしょう。

 

 

でもこれは劉備の本心ではありません。

劉備は、皇室の遠縁です。(自称)

 

 

本当は、世の中の乱れを正したいという熱い思いがあります。

でもそんなこと、人通りの多い道端でペラペラしゃべるべきではない。

そう考えて、用心深く無関心を装っただけなんです。

『三国志演義』の劉備は無防備にペラペラしゃべる

一方、元ネタである『三国志演義』の劉備は、ぜんぜん用心深くありません(笑)

義勇兵募集の高札の前で張飛と出会ったあと、すぐに

 

それがし、もともと漢皇室の流れを引く、姓は劉、名は備と申す者。

 

と、ペラペラしゃべり出します。

初対面の、どんな人間かも分からない相手に、デリケートな秘密を即カミングアウトです。

 

 

張飛の自己紹介のあと、自分の番が待ちきれずちょっと喰い気味にしゃべり出しているような気さえします。(ぼくの勝手なイメージです)

 

 

漢皇室の遠縁というトップシークレットを、あたりをはばからずにしゃべるとは。

なんというノーガード戦法でしょう。

でもその素直さに、なんだか好感が持てます。

 

 

横山光輝さんのマンガ『三国志』の劉備も人気のあるキャラクターですが、元ネタの『三国志演義』の劉備も、なかなか目が離せない人物です。

 

 

では、このつづきはまた次の記事で書きたいと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

つぎの記事はこちら⇒桃園の誓い 横山三国志と『三国志演義』の違い

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