上杉謙信が負けない理由(先人たちの底力 知恵泉)

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NHK『先人たちの底力 知恵泉』では、先週につづいて上杉謙信を取り上げていました。先週は、上杉謙信がバラバラな組織をいかにまとめたかを放送していました。

今週は、「上杉謙信 負けない理由」と題して、上杉謙信の負けない戦い方に迫っていました。

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上杉謙信は負けない

ぼくは昔、『信長の野望』というゲームが好きでよくプレイしていました。これは自分が戦国武将となって天下を統一するゲームです。上杉謙信のいくさの能力値が、とても高いんです。

実際の謙信も、いくさがとても強かったといいます。

『知恵泉』によれば、生涯で70のいくさを経験して、戦績は43勝、2敗、25引き分け。

いくさの勝率は95%だそうです。

む? この戦績で95%という数字は、どうやったら出るんだろう。ぼくは算数が弱いので、きっとぼくの気づかない計算のしかたがあるんですね。

それはさておき…

まわりは強い武将ばかり

謙信が強かったということは、もしかして周りの武将が弱かったのでは?

そんなことはありません。けっして周囲が弱かったわけではないんです。

『知恵泉』でも紹介されていた通り、謙信のまわりには、武田信玄、織田信長、北条氏政といった有名な戦国武将たちがいました。

ただ思うに、北条氏政に関しては、お父さんの北条氏康の時代のほうが強かったような気もします(^-^;) でも、そうですね、氏政の時代も、たしかに北条家の存在感はすごいものでした。国として強かったです。はい。

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日本無双の名大将

謙信は、織田信長と戦ってこうコメントしたといいます。「戦ってみると信長は案外弱い」

ライバルの武田信玄からは、こう評価されました。「太刀打ちにおいては日本無双の名大将」

では、謙信はなぜ勝ちつづけることができたのか。『知恵泉』ではそのポイントとして、

  1. 兵の心から迷いを取り除いたこと
  2. 潔く撤退したこと

を挙げていました。

謙信の得意な戦い方

謙信のいくさを見ると、そのスタイルには共通点があるといいます。

  • 相手の意表をついて電光石火に攻めること。
  • 刀や槍などを使った接近戦で勝負をつけること。

槍兵が多い

謙信の軍は全体の65%が槍兵で構成されていたそうです。

槍兵。ヤリを持った兵士です。

これは、武田軍の51%、北条軍の37%と比べても、多い割合です。

槍兵で電光石火に攻める

謙信の軍に、槍兵が多かったのはなぜでしょう。

謙信が得意な戦い方は、「相手の虚をついて電光石火に勝負をつける」でした。それを可能にするのが、槍兵だったんですね。槍兵は機動力に富んでいます。

それにしても、「相手の虚をついて電光石火に勝負をつける」とは、名将冥利につきるというか、これぞ用兵のだいご味というか。そういうことを現実にできてしまう謙信、さすがですね。

槍兵は緊張がいっぱい

槍兵が多いと問題もあります。

槍兵は敵を遠くから攻撃することができません。弓兵や鉄砲隊なら、遠くから攻撃することができます。

でも槍兵は、それができません。接近戦です。敵と直接、刃を交えます。

だから槍兵は、とても緊張するポジションでした。

緊張をやわらげるために

兵士の緊張や不安をやわらげ、勇気づけるために、謙信はいつもある行動をとっていました。

みずから先頭に立って戦い、敵陣に斬り込むことです。

川中島の戦いでも、謙信みずからが武田信玄に斬りかかったという伝説が残されています。

武田信玄に斬りかかったのが史実かどうかはわかりませんが、謙信の友人の近衛前久は手紙で「みずから敵陣に攻め込んだそうですね。すごいですね!」と謙信をたたえています。

兵士たちの迷いを取り除く

『知恵泉』によると、謙信みずからが先頭に立って陣頭指揮をとったので、軍団は指示どおり迷いなく行動できたといいます。兵士たちの緊張や不安を取り除き、迷いを断ち切ることで、軍団を自在に動かせたんですね。

兵士を迷わせない。

これが、謙信が負けない理由のひとつ目です。

もうひとつの負けない理由が、潔く撤退することです。

潔く撤退する

謙信は果敢に敵陣に斬り込む一方、その真逆のような行動をとることもありました。

あるとき、謙信は10万の大軍で敵(北条家)の城を包囲しました。

あと一押しで謙信が勝利することは、誰の目にもあきらかでした。

補給ルートにトラブル発生

そのとき、ある知らせが入りました。

本国(越後)からの補給ルートにトラブルが発生したというのです。

「勝利は目の前。このまま攻めるべきか、それとも引くべきか…」と、ふつうなら迷うところですが、謙信は違いました。

謙信は迷わず撤退しました。

補給はいくさの要です。どんなにうまくいっていても、いくさの要が揺らいではキケンです。

補給ルートを絶たれた軍が壊滅していくのは、歴史でよくある話です。とくに10万の大軍となると、補給が途絶えた途端、飢えます。

補給があるときは、10万という数は「強さ」ですが、補給が途絶えると、その数は「弱さ」になります。

謙信は目の前の勝利を捨てて撤退できる男だったんですね。

川中島の戦いでも潔く撤退

川中島の戦いでも、謙信はあるとき、おなじような行動をとったそうです。(川中島の戦いは全部で5回ありました)

そのとき謙信は、武田信玄の軍に深く斬り込み、あと少しで大勝利!というところまで相手を追い詰めました。

でも…

「敵の援軍がくる」という情報が入るや、すぐに撤退しました。あと少しで勝てそうだから、もうちょっと粘ろう…とは考えなかったんです。

この戦いで武田軍は、武田信繁や山本勘助という有力メンバーを数多く失いました。一方、謙信のほうでは、潔い撤退のおかげか、有力メンバーで命を落とした者はいなかったといいます。

撤退はけっして恥ずかしいことではないと考えていたんですね。

感想

前回の、上杉謙信がバラバラな組織をまとめた方法でもそうでしたが、謙信はいつも家臣や兵士の気持ちを考えて、モチベーションを高めて、勝っていますよね。

組織がバラバラで苦労した時代があるだけに、自分一人では何もできない、みんなの団結ややる気があってこそ勝てるんだということをよく知っていたんでしょうね。

あと、軍神やカリスマといわれていますが、そのイメージに自分がしばられることなく、撤退もひとつの勇気ある決断としていとわないところに、人としてのスケールの大きさを感じます。

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