小説「機動戦士ガンダム」 シャアに協力すべきと言うアムロ

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小説「機動戦士ガンダム」もいよいよ物語全体の後半に突入しました。

第2巻のパート14は「予感」です。

機動戦士ガンダム〈2〉 (角川文庫―スニーカー文庫)

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シャアが秘書を誘う

シャアがキシリアの秘書マルガレーテ・リング・ブレアと夜を共にします。

シャアの誘いの言葉は「今夜、予定があるのかな?」です。

アニメでは見られないシャアの一面。こういう場面は貴重ですね。

アムロが「シャアに協力すべき」

この章でぼくが一番印象に残ったのはアムロのこんなセリフです。

「もし、キャスバル・ダイクンの考えが独善的な考えでないのならば、協力すべきです」

キャスバル・ダイクンとはもちろんシャア・アズナブルのことです。

アムロの敵です。

なのに、アムロは場合によってはシャアに協力すべきだ、と言っているんです。

びっくりですよね。

アニメではシャアのほうからアムロに、私の同志になれ、と誘うシーンがあります。アムロは一蹴します。それが小説ではアムロの口から「協力すべき」という言葉が出ます。

モビルスーツ派と宇宙戦闘機派

モビルスーツは生まれたばかりの新しい概念なんだ、と感じるシーンがあります。

ガンダムは今でこそ続編がたくさんあって物語の中でも長い歴史がつくられています。

でも、この小説の舞台となっている戦いは「モビルスーツの概念が生まれて五年とは経っていない」時期です。

モビルスーツはまだまだ新しい兵器なんです。

モビルスーツが登場するまでは、宇宙戦闘機(コスモ・ファイター)が戦いの主役でした。宇宙戦闘機のパイロットからすると、モビルスーツなんて玩具みたいなもの、ってことになります。

突如歴史に登場したモビルスーツ。それを乗りこなすパイロットたちと、宇宙戦闘機のパイロットたちでは、考え方に大きな落差があるんです。

小説では「二十世紀初頭だかに飛行機が実戦に加わるようになった時代、大鑑巨砲主義からぬけきれなかった人々がいた」という話をひきあいに出して、宇宙戦闘機派の人々の古い感覚を説明しています。そのへんの対比がアニメにはない描かれ方で新鮮でした。

自分の流儀にこだわる大切さ

一方で、宇宙戦闘機(コスモ・ファイター)派の人々が自分たちの流儀にこだわることの大切さにも触れてもいます。

引用します。

「生き残りの戦士たちは、自分たちの方法論にしがみついて生き残ったのだ。他の流儀を受け入れるほどうかつなことはしない。慣れぬ事をやって、死んでしまってからでは後悔はできないからだ。」

新しいものに飛びつくのが一方的に正しいわけじゃなく、それぞれの生き残り方の違い、という話なんですね。

ガンダムはご存じのように、正義が悪をたおす勧善懲悪のストーリーではありません。こっちが正しくてあっちが間違っているという乱暴な図式はありません。

こっちに言い分があれば、あっちにも言い分がある。いつもどこか相対的です。

その感覚が上に書いたような細部(モビルスーツと宇宙戦闘機、どっち?という話)にも染み込んでいるのが、あぁ、ガンダムなんだな、と感じるところです。

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