織田信長の生涯を記録した「信長公記」の感想

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織田信長の第一級史料です。

信長の家臣だった太田牛一という人が書きました。

この本に書いてあることは史実で、この本に書いていないことはウソ…

という判断基準に使われるくらい影響力のある本です。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)

これまで、お手頃な価格ではなかなか手に入らない本でしたが、こうして新人物文庫から文庫化されて、ぼくらも簡単に読めるようになりました。

ありがたいことです。

ちなみに、太田牛一がこの『信長公記』を書いたいきさつは『信長の棺』という小説になっています。

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信長のすごさの秘密

織田信長のやったことはとても単純です。 目指すものを決めて、それを目指しつづけた。 これだけなんですよね。

一つを目指して多くを成し遂げる

織田信長はたくさんのことを成し遂げました。では信長は、はじめからたくさんのことを目指していたかというと、そうではありません。

やりたいことは、たった一つでした。 天下布武です。

そのたった一つを目指すうちに 多くのことを成し遂げました。

行き先を決める。それを変えない。

信長はいくら行く手を阻むものがあっても、 他にどんなにおいしい話があっても、 自分が決めた行き先は変えませんでした。 (方法を変えることはありました。)

ブレない強さ

まず行き先を決めることがどんなに大切か。 決めた行き先を変えないことがどんなに大変か。

織田信長がどんな世界を作りたかったのか、 今となってはわかりません。 でも、きっと何か理想的な未来を思い描いていたんでしょうね。 自分の人生を使って、どんな世の中を作りたいのか。 それがハッキリしていたから、信長はブレなかった。

自分で描いた夢なら疲れない

織田信長は働き者でした。これでもかというくらい働いて働いて働きまくりました。どうしてそんなに働けたのかというと、 自分で描いた夢だからです。

同じことをやるにしても、誰かに命令されたり、 やらされたりしたのでは、あんなに働けません。自分が望んだ夢だから、自分で立てた目標だから、あれだけ頑張れたんですね。

現場のリアルを感じる大切さ

織田信長はたくさんの合戦に勝利しました。なぜ勝てたのか?

信長はいつも合戦の前に、あることをしていました。

それは、みずから馬に乗って状況を見て回ること。地形、布陣、天候…。これらを自分の肌で感じ取っていたんです。現場の生の空気。そこから感じるインスピレーションを 大切にしていました。

人生の残り時間を大切に

織田信長はある意味常識はずれのムチャクチャな人でした。信長はやりたいことがハッキリしていました。若いころから、人生の残り時間を意識していたそうです。やりたいことがハッキリしていたからこそ、人生の残り時間を大切にしていたからこそ、ムチャクチャできたんです。

10年後どうなっていたいか?

1560年に桶狭間の戦いで全国デビューした織田信長は、その10年後、天下の中心地・京都に進出して活躍するようになっていました。

10年後どうなっていたいか? それを 真剣に真剣に真剣に思い描いて行動した人だけが、夢に描いた「10年後」を実現できるんですね。

信長はいつから織田信長だったのか?

彼ははじめから織田信長でした。信長が信長なのはあたりまえ、と思うかも知れません。

でもよく考えると、信長が他の誰をも目指さず、人生のはじめから終わりまでただ純粋に織田信長でありつづけたことはスゴイと思うんです。

「自分」を選び続けた人

自分が自分でいられる生き方を選ぶことは、もしかすると簡単なのかも知れません。でも選びつづけることは難しい。信長ははじめから終わりまで、自分が自分でいられる生き方を選びつづけた人でした。

基本に忠実だからこそ革命児になれた

信長は革命児といわれますだれも思いつかない新しい発想で、古い世界を壊しました。でもじつは、やっていることはとっても基本に忠実でした。

自分のやりたいことをハッキリさせる。それをつづける。城を落すには、まず敵の心を落す。問題の表面ではなく、根っこを解決する。そういう基本的なことの積み重ねが、信長を革命児にしたんです。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)

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