1582年6月3日。信長の死を知った秀吉は子供のように大泣きしたという。
秀吉「・゚・(ノД`;)・゚・ うぇえぇ~ん! 信長さ―――ん」
兵士「これからどうします?」
秀吉「のЯな×△んvど□”※Ja田ж~っ(泣)」
兵士「いや、なに言ってるかわかりません」
秀吉「信長さんは、どうして死んじゃったの?」
兵士「記事によると、謀反です」
秀吉「謀反?」
兵士「部下の謀反にあって殺されたようです」
秀吉「誰がそんなことを~ (ToT)」
兵士「みっちーです」
秀吉「みっちーって誰さ」
兵士「秀吉さんと同じく途中入社で取締役になった頑張り屋さんですよ」
秀吉「ふうん」
兵士「そのみっちーが謀反を起こして信長さんを殺したんです。それにしても……」
秀吉「なに?」
兵士「まずいですね。Mさんとの戦い、どうします?」
秀吉「どうって?」
兵士「信長さんという後ろ盾がなくなった今、戦いは非常に不利です」
秀吉「あ、そっか」
兵士「どうします?」
秀吉「いや、もうこれ、あやまるしかないしょ」
西暦1582年6月4日、秀吉とMさんの間に講和が成立した。
Mさんの反応は、
Mさん「秀吉っていいヤツだね」
部下「仲直りの申し出をあんなにすばやく受け入れてくれるとは」
Mさん「度量が大きいよね。おれ、惚れちゃったよ」
部下「僕もです。感激!」
これにより秀吉は、Mさんという巨大勢力を味方につけることができた。
秀吉の陣営のようす。
秀吉「ふぅ~。Mさんと仲直りできた」
兵士「よかったですね」
秀吉「ねぇ、ちょっと思ったんだけどさ……」
兵士「はい」
秀吉「信長さんって、京都とかあのへんを支配してたしょ?」
兵士「してましたね」
秀吉「てことは、まあ、いわゆる天下人だったわけだよね?」
兵士「はい」
秀吉「でも、その信長さんは、みっちーに倒されたでしょ」
兵士「はい」
秀吉「ということは、今はみっちーが天下人ってこと?」
兵士「一応」
秀吉「じゃあ、新しい天下人にあいさつしておかないとマズイよね」
兵士「え。信長さんのカタキを討つっていう発想はないんですか?」
秀吉「ドラマとか映画ならそういうのもありかも知れないけど、これ現実だしさ」
兵士「はい」
秀吉「そんなカッコイイことばっかりも言ってられんしょ」
兵士「いや、しかし……」
秀吉「相手は今や天下人だよ。ここはさ、ペコペコしておかないと」
兵士「まあ、それも乱世の処世術ですけど、それなら急いだほうがいいですよ」
秀吉「なんで?」
兵士「こういうときって一番最初にあいさつに出向いた者が、のちのちまでヒイキされますから」
秀吉「あ、そっか、じゃ急がないと!」
秀吉軍は大急ぎでみっちーのいる京都へとむかった。
秀吉「急げ! 急げ! 急げ!」
秀吉軍はものすごいスピードで行軍した。
のちに中国大返し(ちゅうごくおおがえし)と呼ばれるこの行軍から、 日本史はあたらしい段階をむかえる。