「尻啖え孫市」の感想(司馬遼太郎)


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織田信長の最大の敵は、上杉謙信でも武田信玄でもなく本願寺だったとも言われます。お寺です。その本願寺が頼りにした鉄砲チームのリーダーが、本作の主人公・雑賀孫市です。

新装版 尻啖え孫市(上) (講談社文庫)

雑賀孫市は本願寺から頼りにされるだけでなく、信長からもラブコールを送られました。鉄砲という最先端の武器を使いこなす武装集団。そのリーダーである雑賀孫市はみんなから、ぜひ味方になってほしい、と思われる存在でした。

いろいろあって雑賀孫市は本願寺に味方します。つまり信長の敵になります。歴史は信長を中心に進みました。信長側の視点から描かれることも多いです。この小説は逆です。信長の敵の視点から描いています。

信長の家臣で有名なのが羽柴秀吉です。この小説では、雑賀孫市と羽柴秀吉のあいだに不思議な友情のようなものが芽生えます。「不思議な友情のようなもの」と回りくどい書き方をしました。本当の友情だったのか、戦国の駆け引きだったのか、最後は読者にゆだねられています。

新装版 尻啖え孫市(上) (講談社文庫)
新装版 尻啖え孫市(下) (講談社文庫)


根来衆の杉之坊が織田信長に味方した日


あーりーです。

司馬遼太郎さんの歴史小説『尻啖え孫市』に、こんなシーンがあります。

引用↓

正月十四日、信長は京都に入り、妙覚寺本山を宿営として討伐計画をさらに練っているうち、根来衆の大将杉之坊に対する調略が奏功して織田方に寝返ってきた。

 

根来衆の杉之坊が織田信長の味方についた、というシーンです。

天正5年1月のできごとです。

これを『信長公記』で見ると、次のように書かれています。

引用↓

一月十四日、上洛。(中略) 同二十五日、帰途についた。二月二日、(中略)根来寺の杉之坊が、織田方に味方することを誓約した

 

おぉ。

小説では1月14日以降の細かい日にちは出てきませんが、『信長公記』には書かれています。杉之坊が正式に織田信長の味方についたのは2月2日だったんですね。

と、

こういう細かい部分を照らし合わせて、ふむふむそうだったのか、と頷くのが楽しみなのです。今日も良い読書ができました。

参考書籍
現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
新装版 尻啖え孫市(上) (講談社文庫)
新装版 尻啖え孫市(下) (講談社文庫)


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雑賀孫市と織田信長


あーりーです。

歴史小説『尻啖え孫市』と『信長公記』を読み比べて、ふむふむ『尻啖え孫市』のこの場面は『信長公記』のこの部分のことなんだなぁスゴイスゴイ、と感心するのが最近の趣味です。

歴史小説『尻啖え孫市』は、鉄砲がじょうずな戦国武将・雑賀孫市が織田信長と戦うはなしです。(←ざっくり)
新装版 尻啖え孫市(上) (講談社文庫)

『信長公記』は織田信長のことが詳しく書かれた第一級の史料です。
現代語訳 信長公記 (新人物文庫)

『尻啖え孫市』を読んでいると、孫市が織田信長の陣営にするすると忍び込んで、いくさのドサクサに紛れて信長を狙撃するシーンがありました。信長は右足の太ももに弾を受けて倒れます。

信長が撃たれた!

これは小説の創作か。それとも事実か。事実だとすれば、こんな重大な出来事、『信長公記』に書いていないはずがありません。

探しました。

 

天正4年(1576年)5月にそれらしき記述を見つけました。

引用します。

信長は先陣の足軽勢にうち混じって駆け廻り、ここかしこで指揮をしている間に、足に銃弾が当たって軽傷を負った。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)より

きっとこの場面のことだと思います。

『信長公記』には、誰が撃ったとは書かれていません。司馬遼太郎はそれを雑賀孫市が撃ったことにしたんですね。おかげでグイグイ引き込まれました。(それとも何か別の史料では雑賀孫市が撃ったと書かれているのかな)

いずれにしても、歴史小説の場面を『信長公記』の中に見つけることができて、きょうも満足なのでした。おしまい。


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